地域で子どもたちの遊ぶ姿が見掛けられなくなって久しい。「遊び場」と「外遊び」を失った子どもたちのその後とは【西岡正樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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地域で子どもたちの遊ぶ姿が見掛けられなくなって久しい。「遊び場」と「外遊び」を失った子どもたちのその後とは【西岡正樹】

 

◾️「子どもの体験の中に学びがある(Learning by doing)」 

 

 予想通り、鶴嶺小学校の周りには、子どもたちにとっても私にとっても、この上ない環境が整っていました。学区内には田圃や空き地があちこちにあり、遊び場には事欠きません。さらに、田園が広がりその中を「小出川」が流れています。遊びの天才である子どもたちにとっても、「子どもの体験の中に学びがある(Learning by doing)」と考えていた教師にとっても、ここは楽園でした。

 私は授業中であっても子どもたちを連れ出し、田畑や小出川、そして数Km離れた海まで、校長先生や教頭先生に怒られながらも出かけました。このような環境があったからこその、私の暴挙です。鶴嶺小学校に赴任して以来、私は自分の理想とするデューイの経験主義教育(Learning by doing)に邁進しました。私は時に猪突猛進で勝手な振る舞いが多く、他の諸先輩方には大きな迷惑をかけていましたが、鶴嶺小学校での取り組みは、私にとって大きな喜びであり、私の教育活動のベースをつくる大切な場になったのです。

 しかし、その環境は長くは持ちませんでした。時は、高度経済成長の末期です。その波はいっきにこの田園風景を飲み込んでしまいました。私が赴任して3年目には広大な田圃と湿地が埋め立てられ、1000人近くの人々が住むメゾネット式のモダンな集合住宅地に生まれ変わったのです。しかし、それでも空き地や田圃、川、さらに神社の池や校庭などなど、子どもたちにとっての遊び場は、1990年代まだかろうじて残されていました。

 鶴嶺小学校学区だけではなく、他地区でも同様です。1980年代から1990年代初めまで子どもたちの遊びの中心は「外遊び(集団遊び)」でした。前述したように子どもたちを取り巻く環境は変わり始めていましたが、子どもたちの学びの場(成長の場)は、まだ学校だけではありませんでした。また、多くの友だちと関わり合い、思いっきり体と体をぶつけ合って遊ぶ子どもたちにとって、「遊び場」は1つの「学びの場」でもあったのです。

 

 学校内外で「外遊び」を繰り返す子どもたちの体力や精神力は、今とは比べものになりません。そのことを証明するような出来事を1つ紹介したいと思います。それは、私が教師になって10年目のことです。すでに鶴嶺小学校から柳島小学校へ移動していたのですが、転勤後早くも5年目を迎えていました。しかし、ここでも「Learning by doing」は私の教育活動のベースです。

 その年、私は5年生の担任でした。その時の5年生は感受性が強く、「自分のことは自分でする」自立心を持った子どもが多かったように思います。そんな子どもたちを見ていると「この子たちと何か面白いことができそうだな」という思いが浮かんできました。そして。時をあまりかけることなく、かねてから考えていた「サバイバル徒歩旅」をこの子たちとやってみようという思いに至ったのです。

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西岡正樹

にしおか まさき

小学校教師

1976年立教大学卒、1977年玉川大学通信教育過程修了。1977年より2001年3月まで24年間、茅ヶ崎市内の小学校に教諭として勤務。退職後、2001年から世界バイク旅を始める。現在まで、世界65カ国約16万km走破。また、2022年3月まで国内滞在時、臨時教員として茅ヶ崎市内公立小学校に勤務する。
「旅を終えるといつも感じることは、自分がいかに逞しくないか、ということ。そして、いかに日常が大切か、ということだ。旅は教師としての自分も成長させていることを、実践を通して感じている」。
著書に『世界は僕の教室』(ノベル倶楽部)がある。

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